◆ 大内塗の歴史


菓子鉢
菓子鉢

 室町時代、絢爛豪華な大内文化の象徴として誕生した大内塗は、当時大内氏の朝鮮・シナ大陸における重要な交易品として扱われておりました。
主に、椀や盆、花器などが代表的で、「大内朱」と呼ばれる朱色や大内家の家紋を模して金箔(きんぱく)であしらった「大内菱(おおうちびし)」、秋草模様が大内塗の特徴です。

 なかでも丸顔におちょぼ口、切れ長の目もとが特徴の、とても愛らしい表情をした大内人形は、夫婦円満の象徴として見る人の心を和ませ、お土産物としてもとても人気の高い商品です。


◆ 大内人形のお話

人形・漆器
人形・漆器

 山口の地に居を構えた大内弘世は、多くの人を都から山口に招き、都と同じような街づくりを始め、やがて京の三条家から美しい花嫁を迎えます。しかし花嫁は遠く華やかな都を恋しがり、いつも泣いてばかりおりました。 心の優しい弘世はかわいそうに思い、都から多くの人形職人を呼び寄せ、屋敷中を人形でいっぱいにしました。 花嫁はたいそう喜び、それからは幸せに二人仲良く暮らしました。

やがて街の人々は、そんな弘世の屋敷を「人形御殿」と呼ぶようになり、やがてそのうわさは遠く都まで届くほどになりました。 その頃京で長く続いていた戦乱にあきあきしていた都の貴族、文化人、芸術家、僧侶達がその噂を聞きつけ、人形御殿があるような平和で優雅なロマンチックな土地が山口にあると、次々と多く移り住むようになっていきました。 それは華やかな大内文化が栄えるひとつの要因となり、やがて「西の京やまぐち」と呼ばれるようになりました。
そのような物語を基に夫婦仲良く並んだ昔風情の人形が作られるようになったのです。